長島 雅則 様
MIT-EFJ元理事・元監事
株式会社インフォマティクス代表取締役会長
http://www.informatix.co.jp/
日本MITエンタープライズ・フォーラム(MIT-EFJ)と私の関わりを述べるには、やはり、MITと私の関わりを述べなければならないと思います。そして、それは、少々、私事を述べさせていただくことになると思いますが、ご容赦ください。
戦後の3年間のベビーブームは団塊の世代と称され、その最後の年に生まれた私は、時流にのって、大学で建築の勉強をしておりました。そして、建築設計にコンピュータを利用するCAD(Computer-Aided Design)というものの誕生を知り、コンピュータを勉強するために、1974年、MITに籍を得ました。結果的に、CADの勉強をするための理想的な環境であるNegroponte教授の率いる、Architecture Machine Group(AMG)での研究と修士論文の執筆は、私の人生の進路を大きく変えました。
1976年5月にコースを修了後、6月から9月までの4ヶ月間、AMGで技術助手を務めさせていただきました。勿論、そのままMITで研究する道も開けていたと思いますが、OXSYSというシステムを知り、そのシステムの開発に関わりたいと考え、英国に渡る決心をいたしました。
OXSYSとは、Oxford Regional Health Authorityが病院・診療所の設計のために開発した建築設計のためのCADシステムです。このOXSYSを開発していたのは、Applied Research of Cambridge Limited(ARC)という、今でいえば典型的なベンチャー企業です。1969年に、英国Cambridge大学の建築都市研究所の何人かが中心になってCambridge市に設立された会社です。私が1976年11月に入社したときも、十数名の小さな研究主体の企業でした。私はARC社に1981年まで籍をおき、数名の開発チームでシステムの開発を中心に、顧客のサポート、デモンストレーション、インストレーション等々の種々の仕事をするチャンスがありました。1981年正月に日本に一時帰国した際、ARCで開発していたシステムを購入して使用したいという日本企業が現れたので、その10月に日本で販売・サポートをする会社を設立しました。
このように、今、考えれば、MITを出た後はベンチャー企業に就職し、ベンチャー企業を設立したということになります。その当時、ベンチャーなどという単語は、建設業界で、企業連合を意味するジョイント・ベンチャーということでしか親しみがありませんでした。
私の仕事の方向性を決定づけたのは、MITで学んだことによります。また、英国のARCに勤めるきっかけも、すべてMITから始まっております。従いまして、MITに対して、何かできることがあればと、常々考えておりました。そこで、日本MIT会(MIT Association of Japan)の活動に関わるようになり、また、MITエンタープライズ・フォーラム(MIT-EFJ)の活動にも参加させていただくようになりました。2004年から2年間、日本MIT会会長の役目を仰せつかりましたのを機に、MIT-EFJの理事、その後、監事とさせていただきました。
私といたしましては、無意識のうちに、そして、結果的に、ベンチャーに関わり続けてきたようです。それ故に、MIT-EFJには、ベンチャー精神や、ベンチャーの文化を、日本に於いて、啓蒙・普及を図っていただくことはもとより、ベンチャー企業の誕生への具体的な活動に、益々、期待しております。