貴社について教えていただけますか。
- 川島
- 弊社「株式会社クラウドクリニック」は主に在宅医療のアウトソーシングサービスを行っています。ICTを使い医療機関のバックオフィスサポートなどをしています。創業は2015年12月で、今年で7周年を迎えました。
MIT-VFJとの出会いと、BPCC(ビジネスプランコンテスト)に応募なさったきっかけを教えてください。
- 川島
- 私は大学で社会福祉を学び、ファーストキャリアは精神科病院の相談員でした。結婚し退職をしたのですが、復職したいと望んでも復職できなかった経験があります。 医療業界は長くキャリアを積める業界だと考えていたので、キャリアが分断されてしまうことが非常に残念に感じました。その後、まさか自分が会社を立ち上げるとは、思ってもいませんでした。 その後は、転職という形で医療業界の会社で管理職をしていました。そこでは私の目指す「患者の代理人としての医療業界」を成すことができないと感じたため、退職をしました。その退職金で、医療コンサルタントの会社を1人で立ち上げました。立ち上げの事業計画を創業補助金事業に応募したところ採択されました。 ありがたいことに、前職で懇意にしていただいた医療関係の方々から発注いただくことができました。しかし、コンサルタント業というのは、クライアントの課題や問題を解決すると終了となるため、継続が難しい。このままのビジネスモデルでは困難だと感じました。 当時、お金はなくても時間はたっぷりとあったので、女性起業勉強会などに参加していました。その中の「日本政策投資銀行DBJ、女性新ビジネスプランコンペティション」で、MIT-VFJ理事の大野一美さんとの出会いがありました。大野さんからMIT-VFJのBPCC(ビジネスプランニングコンテスト&クリニック)を紹介していただき、2015年度のBPCCに応募しました。
メンタリングを受けて得られた成果はどのようなものでしたか?
- 川島
- 事業計画書を作成しても1人だとブラッシュアップしていくのが困難です。コンテストを使えば、締め切りがあるし、ポイントを押さえた計画書を作成できると思ったので、事業計画書をコンテストに活用しようと思いました。 何度も逃げ出しそうになりました…でも書かなければ…トライを続けました。 普通のコンテストは「落ちた」「通った」だけのものです。しかし、BPCCでは、事業計画にフィードバックがもらえるのです。そんなコンテストは他にありませんでした。 タイトルの文字制限や事業概要の文字数制限などもありましたし、フィードバックをもらうと「自分の説明が良くない」、「市場の捉え方が違う」など色々な発見がありました。また、当時は「在宅医療」が世間的に馴染みがなかったので、なかなか理解されず、事業内容の説明に難儀しました。そのようななかで、エレベータピッチ並みの自己紹介をする機会が多くなり、たくさんのアドバイスをいただきながら、内容も磨かれていきました。
BPCCでファイナリストになり、メンタリングを受けたあと、川島さん自身の取組みや、貴社の事業にどのような変化がありましたか?
- 川島
- 実は応募時のビジネスモデルと、ファイナリストとして発表したビジネスモデルは全く違うものになっていました。最初のモデルは「医療系女性の教育」でした。しかし、メンターの方々から「収益になりそうにない」「継続しない」「スケールもみえない」などと指摘を受けました。 その頃。実父が末期ガンで亡くなり、在宅医療業界、市場を知ることとなりました。そこで思いついたのが在宅医療のアイデアです。アウトソーシングで女性たちを束ねて、離れた場所から教育して、在宅医療の業務に就いてもらうというモデルを考えました。 メンターにその話をすると「そっちに変えましょう」となり、一からメンターと一緒に作り直しをしました。二人三脚で、市場から実ビジネスに至るまでをコンテストと平行してビジネスを立ち上げていきました。 BPCC表彰式(の打ち上げの)時には、すでに業務を開始していて、更に株式会社にしていました。コンテストに出ていたというより、ビジネスを立ち上げていたという感覚でした。また、色々な応援をいただいたからこそできたと思っています。 その後、DBJの女性新ビジネスプランコンペティションに再度チャレンジし、なんと大賞を受賞しました。1年のメンタリングの機会もいただきました。MIT-VFJとDBJのメンターの方たちは、組織の基礎を一緒に作っていただいた恩人です。そして、EY(アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン)も受賞することができました。
貴社、あるいは川島さんのこれからは?
- 川島
- 「患者さん中心の医療」が私の理念です。医療現場の方たちは案外と患者さんやご家族がどのような気持ちでいるか知らないことが多いのです。 私は子どもの頃に小児腎炎で長期入院をした経験があります。患者としての辛さや家族が大変というのも経験があります。だからこそ、ママさんやこれからママになる方、多くの女性たちに医療制度を知ってもらいたい。子育てやライフイベントがあっても働き続けられる世の中にしたいのです。 それを叶えるためにも、私にはやりたいことがまだまだたくさんあります。ICTやAIなどを使うとできることは色々とありますし、これからもそれを使っていこうと思っています。 私は人生の最期の時間は自宅で過ごしたい。大好きな人たちを大好きなワインを飲みながら過ごしたいと願っています。
MIT-VFJは2021年より、BPCCからVMP(ベンチャーメンタリングプログラム)に変更し、コンテスト形式から、応募者のビジネスプランがメンタリングによってどれだけブラッシュアップされたかを見ていくプログラムに変わりました。ボランティアをベースとした我々の活動に対し、期待されることがあれば教えてください。
- 川島
- 受賞してから色々な方から相談を受けるようになりました。私もそうでしたが、コンテストに落ちることは辛いんです。なので、コンテストに落ちたことは気にしなくていいと思います。 BPCCでのメンタリングを受けていたとき合宿があり、その最終日が事業計画の発表でした。そこで質疑応答があったのですが、せっかくのアピールできる場なのに、緊張してうまく答えられなかったんです。あの時は悔しかった。メンターの方たちへの恩返しのためにもがんばりたかったのにうまくできませんでした。 MIT-VFJの方たちは、ほんとうに愛情がいっぱいで、コンテストが終わってからもずっと伴走して見てくれました。本当にありがたいです。今でも、ファイナリストのみんなとは仲良しです。 みんな、がんばっている。私も弱音を吐いていられないです。
VMP(ベンチャーメンタリングプログラム)応募を考えている方たちへ、メッセージをお願いします。
- 川島
- 正直なところ「やめておいた方がいいよ」と言いたくなります。必要なのは「覚悟」、やるなら絶対にやめないという覚悟です。「ちょっとしたアイデアは、もう誰かが思いついている」とメンターにも言われましたし、実際にそうです。それでも「やりたい!やる!!」という覚悟が持てれば、チャレンジしてほしいと思います。 やると決めたら後はやり続ける、やり通すだけです。簡単なことではないけれど、チャレンジして失敗もたくさんすることで、とても豊かな人生になっていくと思います。VMPでは、自分が本物になれるかどうかを試すことができます。ここを乗り越えたら、あとは絶対に大丈夫。夢をしっかり持っていれば、応援してくれる人は必ずいます
川島史子 プロフィール
【略歴】 名古屋市出身、東京都在住。 日本福祉大学社会福祉学部Ⅱ部卒業後、病院相談員として勤務。2006年日本医療コンシェルジュ研究所で、医療コンシェルジュ資格認定制度立ち上げ。ダスキンヘルスケアに入社、名古屋大学医学部附属病院共同研究員として医療コンシェルジュサービスを開発。日本医療コンシェルジュ研究所特別顧問。 2015年株式会社クラウドクリニック創立。
【受賞歴】 第1回デジタルヘルスコネクトビジネスプランコンテストオーディエンス賞受賞 第15回MIT-VFJビジネスプランコンテスト&クリニックスタートアップ部門ファイナリスト 第2回女性起業チャレンジ制度グランプリ受賞 第6回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション 女性起業大賞 2019年EY Entrepreneuraial Winning Women