INTERVIEW

日本MITベンチャーフォーラム(MIT-VFJ)
 副理事長 馬場 研二 氏

馬場研二、MIT-VFJの歴史とメンタリングを語る…素朴に聞く事、寄り添う事で相手の変化を引き出す。

今月は、日本MITベンチャーフォーラム(MIT-VFJ)副理事長の馬場さんに、MIT-VFJと係わられてきた歩みを振り返っていただきます。
MIT-VFJ設立当初の24年前から携わっていらっしゃる理事の大野一美さんに聞き手をお願いしました。

馬場

本当に20年前に遡るんですよ。
MIT-VFJに参画する前の話になりますが、ベンチャーとの関わりは福岡のA社に転職したことが始まりでした。
A社は地元の企業なので色々と相談事が来るわけです。
当時、福岡県庁の外郭団体が地元でベンチャーキャピタルを作るという構想がありました。
「ふくおかアイスト」といいます。
公益財団法人 福岡県産業・科学技術振興財団(ふくおかIST)

元商工部長だった、ふくおかISTの久保理事長が、県知事からベンチャーキャピタルを作れと言われていました。
その相談に乗ったことが、私とベンチャー支援との繋りの始まりなんです。
私の元に、県庁からふくおかISTに出向していた大屋貴雄さんが来て「今度こういうものを作るんですけど、地場企業としてどう考えられますか?」と言ってきたんです。それでガバナンスの形などの組織作りの助言をしました。

翌年、九州ベンチャーパートナーズ(KVP)の設立総会が開催されました。
私の九州大学の同期で、当時、日本政策投資銀行にいた山口泰久さん(現FFGベンチャービジネスパートナーズ副社長)が、総会に参加していました。
そこで、彼がMIT-VFJ(当時MIT-EFJ)の事務局長だった綾尾さんを私に紹介してくれました。
綾尾さんとは、ボストンのことやテクノベンチャーの話などで、その場で盛り上がりました。
その夜に、太郎源へ二人で食事に行ったっていうのが始まりです。
2003年の11月のことでした。

大野

MIT-EFJが創設されてから2年目ですね。

馬場

綾尾さんは九州大学の客員教授として翌年から就任することになります。
綾尾さんと私と、新日本有限責任監査法人の宮本義三さんも一緒に、ISTの依頼でメンタリングを始めるんです。
綾尾さんのお伴の「助さん格さん」になって。
その流れで、2004年のBPCC(ビジネスプランニングクリニック&コンテスト。当時はBPC)に、私はISTから旅費を貰って出張しました。山梨でのBPC合宿にも旅費を出してもらって行きました。

福岡県のふくおかISTがベンチャー支援を始めて「綾水会」も始まりました。

福岡市が色々ベンチャー支援を頑張ってますっていうのは10年あとからなんです。
福岡県が先にやった基盤があって。
このKVP九州ベンチャーパートナーズなどの活動があって盛り上がってきたところを福岡市がパクっと掴んだ感じです。

現在の県庁は半導体支援など割と技術的な方にシフトしていて、ベンチャー支援は福岡市に譲っちゃいました。
当時の麻生渡知事は元特許庁長官で、いわゆる技術立国を目指してやっていたんです。
それがスタートで、綾尾さんが九州大学客員教授に着任し、九大知財本部にいた坂本剛さんが主催して綾水会を運営してきました。毎月開催を続け、先日、200回目を迎えましたよ。
「綾水会」は、綾尾さんとKVPの水口社長のお二人の名前の頭文字でできた名前です。

大野

ちなみに綾尾さんは当時MIT-VFJの事務局長、あ、いや理事長だったかしら。

馬場

私は2004年にメンターデビューしました。
過去の資料を見ると、2006年のオリエンテーションで、私がメンター心得を語る資料があったので、2年後にはもう巻き込まれていたみたいですね。

次の節目は、川原洋さんが理事長になった時で、私は理事をしていました。
川原さんが理事長になったとき、私にサイバー大学の授業を作れないか、という話をもらいました。
私が授業を作り始めたのが2013年です。
MIT-VFJとの出会いがなかったら、サイバー大学とのご縁もなかったわけです。

大野

綾尾さんと川原さんが、馬場さんの歴史に大きな転換を刻んだことになりますね。

馬場

元理事長で一昨年に他界された鈴木啓明さんもです。
だからここでの活動が私のベースになっていて、メンタリングで学ぶ事は本当に多かったのです。

大野

理事になったのはいつでしたっけ?

馬場

多分2006年ぐらいだと思います。

最初のメンタリングを福岡で始めたので、福岡から起業家を送り出すということを続けてきました。
福岡在住で、東京のNPOに関わって、福岡地場の起業家を支援するって事です。

大野

福岡県ISTの活動として始めたわけですよね。
私も綾水会のコメンテーターとして九大から旅費を出してもらい、福岡へ毎月1回行っていたので、馬場さんがビジネスプランコンテストに送り込んでくださる九州からの応募者の皆さんとは馴染み深いです。
その後もずっと馬場さんが頑張ってくださっていたので、おかげさまで福岡はじめ九州からたくさんの方が応募くださっていました。

馬場

「綾水会」が福岡の起業家のコミュニティになっていて、ずっと続いています。
坂本さんもそれをベースに、ベンチャーキャピタルを立ち上げたわけです。(坂本剛氏は、2015年にQBキャピタルを設立し「QBファンド」の運営を開始)

大野

坂本さんも頑張ってますね!
馬場さんがメンタリングで、最も印象深かった点は何ですか?

馬場

今、私はメンターらしくなっているとは思うけど、駆け出しメンターって、みんなわけがわからないでやっているんです。
当時自分が何をやっていたかというのはもう覚えていませんが、大した事はできてなかったと思います。
ただ、メンターは、起業家の話を聞いてあげるっていうことも大切だと思っています。
エキスパートの人が素人に説明するのはとても難しいものです。
それをメンターがただひたすら聞いてあげて、素朴に質問する事。
メンタリングはそれで成り立つ部分もあります。
そういう役割がスタートでいいんじゃないかなと思います。
私も最初は何にもできてなかったと思いますが、素朴に「それってどういう事?」と聞くということから始まったように思います。

大野

そういえば、馬場さんのプレゼンテーションの中で、エキスパートの話を人に理解してもらえるかどうかのバロメーターとして、「自分の叔母さんに話をして、理解してもらえるかどうか」ってのがありました!

色々最近はメンタリングに力を入れているから、メンターの資質とか、メンタリング、メンターはこうでなくてはならないとか、こういう資格がなきゃいけないとか、いろいろ発生してきているんですけれども、元はやはり話をよく聞いてあげるっていう所ですよね。

馬場さん
馬場さん
馬場

ここ20年でメンタリングというのも一般化していき、いわゆるアクセラレーションプログラムや、いろいろな企業家塾みたいなものや、たくさんの方法論は出てきていると思うのですが、私たちがやっているメンタリングはあまり変わっていないんじゃないかと思います。
新しくはないけど古くもないんじゃないかなと思って。
それはやはり本当に起業家に寄り添うという形なんじゃないかなと理解しています。

やってはいけない事とか、もっとうまくできる事の助言が、徐々にメンターである自分の方に積み上がっていくから、ある程度効果的なメンタリングができてきていると思うけれど、基本は素朴に聞いてあげる事や、寄り添うことです。
それを難しい言い方をすると、「プロセスコンサルティング」と言えると思うんですね。
相手に対して関わる事によって相手に変化を起こし、またその変化に対して自分が寄り添っていく。
よく最近見るような起業家プログラムみたいなものってHow toなんです。
こんなフォーマットで書くといいよとか、こんな頭の整理の仕方があるよとか。
もうとにかくある意味小賢しい話が多くて。
提供者側が持っているそのノウハウを「はい、これ、どう?」「これでやったら成功できるじゃない?」という形の、コンサルタントがソリューションをお客さんに売る形のものが多いかもしれないなと思っています。
しかし、私たちは多分それではなくて、素朴に聞く事、寄り添う事で相手の変化を引き出すことをやってきています。
いろいろな手法を提示し、それで相手がどう反応するかみたいなところを、ずっと一緒に関わっていくというスタイルが「MIT-VFJ型」っていうのかな。

大野

本来のメンタリングとはそういう事のような気がしますね。

馬場

まあいろいろな流派があって良いし、How toをたくさん得る事でツールや引き出しが増えれば、それはそれで効果的なんだと思うけど。
私たちのやり方は多分、その辺が変わってないんじゃないかなっていう事かなと思ってます。

大野

少し変わってきていませんか?
メンタリングに関して、最近変わってきたなって思う事はありますか?

馬場

メンターがシニア化し、ベテランが増えているので、素朴な疑問で切り込んでいくようなスタイルは減っているのかな。
思慮深くガイドしているメンターが多いなとは思いますが、それだけで本当にいいのかな。
大胆に切り込むようなスタイルが、もっとあってもいいのかなという感じはします。

大野

メンティからすると、コンサル的なメンタリングの方が嬉しいと感じる人が多いんでしょうね。

馬場

その方が使えそうだし、成功に近づくんじゃないかなっていうような安心感はあるのかもしれない。
それは結局、元々予定されている答えに近づくという感じの、ある意味優等生的なゴールを見い出す手法に近くて。
先日のメンタリングのメンバー全員の「メンター会議」で、ピボットについての話が出たのですが、本当にとんがった技術やらノウハウというものは、適用領域を見出してあげるっていう事が必要だと思います。
感覚を揺さぶるようなものが求められるけれど、固定的概念を一旦壊してもう1回再構築するみたいな。
昔は山梨の古民家に行って蚊と戦いながら合宿して、そんなオフサイトのような、一旦感覚を解き放って見つめ直すようなダイナミズムがあったのですが。
最近はだんだん予定調和を求めてきてるのかなという感じはしますよね。
時代の流れというのもあるかもしれないです。

大野

どちらの方が効果的か、どちらの方が良いのかなという気がいつもしていますが。

馬場

どちらが良い、悪いはないと思います。
いろいろな物事の一面ではなく、両方あった方がいいじゃないかと感じています。
時代の流れですが、世の中は「とにかく徹底的に頭の整理をすると、何か出てくるんじゃない?」という方向に流れていると思うので、「ゼロリセットして頭の中を真っさらにして、もう1回考える」みたいな機会を作る事が難しくなっているように思います。

大野

「メンタリングって何ですか?」という定義を求められるケースが結構あると思います。
馬場さんが一言で言うとしたら、なんでしょうか。

馬場

さきほど言ったような、「変化に寄り添う」という事かな。
「メンティに変化を起こすこと」かなと思います。
一般的に、ベンチャーじゃない経営者も含めて、経営者はみなさんが孤独なんですよね。
相談相手はいない、本音で語れる相手もなかなかいない。
だから、聞いてあげたり、ヒントをあげたりして、その人が1歩また踏み出すようなことのお手伝いなのかなと思います。

大野

メンタリングも含めて、今まで馬場さんがやってきたことで、失敗したなと思うことはありますか?

馬場

うーん、やっぱり失敗は確かにありますよね。まあいろいろ。
一番大変なのは、売上が上がらない時に、いろいろな厳しい経営判断に追い込んであげられなかったことなど。
結果として早く決断する事に対してのプレッシャーの与え方が弱かったような反省はあります。
ある意味Turn Aroundが遅れてしまったというか。
でもそれは経営者自身が決めなくてはならない事なのですが。
決めないことにより起こる厳しい状況を回避することへのプレッシャーをもっと与えるべきだったというような場面が何度かあります。
でもそれは私の性格でも難しいし、それが正しい答えだったかどうかわからないのですが、振り返ってみると、もっと早く決断を促すべき場面がいくつか思い出されます。
どうせ厳しくなる結末を迎えるのであれば、早い時期に厳しい決断をすべきであるという助言をしなければいけなかった。
まあ後付けですが。反省としては。

大野

失敗だったっていう方が割と多いものですよ、人生って。
でも、これは良かったな、楽しかったなというような印象深い出来事はありましたか?

馬場

小林清剛さんがノボットを数年でバイアウトしたのは驚きでしたけど、当人の才能がちゃんと使われていて、きちっとした成果を出しているのを見ることはすごいですよね。
株式会社abaの宇井吉美さんからも地道に頑張って資金調達に行き着くしぶとさみたいなものを見せてもらうし。
きちっと成果に結びついている人たちを見るのは嬉しいです。
システム・ジェイディーの伊達博さんもそうですね。
伊達さんはピボットして全く違う領域に挑戦しています。
結構花咲いてきている。
一番どん底のところを近くで見てるからこそ、本当に良かったなと思います。

大野

馬場さんは理事としてMIT-VFJの運営にも関わってるわけですが、当初馬場さんが関わってきた頃と今とは何か違う事はありますか?

馬場

安定的というか、皆さん、ベテラン揃いで運営されているので、品質やメンタリングの中身も素晴らしいと思うけど、若い人たちがもっと大胆にメンターにチャレンジしてくれるような雰囲気がちょっと薄くなってるのかなという気はしています。

大野

結局私はそこだと思うんですね。
若い人たちがメンターにチャレンジしない理由は、MIT-VFJのメンターって何かものすごいものを持っていなくちゃいけないと、そう思ってしまって引いているような気がします。
馬場さんがおっしゃったように「寄り添い話を聞いてあげて変化をもたらす」こともメンタリングなんだということを知ってもらうと、メンターにもチャレンジしやすいのかなと思うんですけれども。
逆に、MIT-VFJという組織が「メンターはこうでなきゃいけない」というようなプレッシャーを与えているようにも思います。
メンターに興味がある人に対して「とても私なんか無理だ」というような印象を与えているかもしれません。

馬場

私は社会人教育ばかり最近やっていて、大学で教えている相手も上は75歳ぐらい、下は18歳なんですが、社会人の学びの場という形で、NPOを捉えて欲しいんですよね。
社会人が学ぶってなかなか機会がない。特に実践的な学び…経営について学ぶ場はあまりないです。
そういう意味ではちょっと掴みどころがないから、みんな近寄れないのかもしれないですね。
経営者の話を聞く機会ってそんなにないんですよ、世間では。
私はここで学んだ事を大学の講義の形にして伝えたりしてるわけです。
そんな貴重な機会ですから、ぜひ参加して欲しいと思います。
スキルとしては何の分野でもいいけど、専門家として活躍している人たちが関わるのであれば、その部分をベースにして、あとは寄り添うという事だけで充分です。
経営全般を知らないからできないとか、そういうものではないと思います。

大野

そうですね。
とにかく門戸を開かなきゃいけないのですが、どうやって門戸を開いたら良いのかということもあって。
メンターは全ての専門家ではないので、自分の知らない専門分野については、その専門家を紹介すれば良いのです。
だから、どれだけ多様なネットワークを持っているかは、メンターの資質の一つかもしれません。

馬場

メンターは、お互い専門家の集団なんで、それぞれその専門家を見出す事はお互いできる。
そんなメンター同士の繋がりがあれば、それで充分なのですが、一番この世の中に欠けているのは「経営者に対する尊敬の念」じゃないかな。
ベンチャーの経営者も、個人商店の経営者も、大企業・上場企業の経営者も、等しく経営者であって、その人たちの苦労は共通するものがある。
その苦労に対して少しでも何か自分で一助ができないか、役に立つことがないか、というのがメンタリングではないかなと思います。
私が顧問業で「経営アドバイザー」と名乗ってやってる事も、結局はその大変な仕事をしている経営者の人を、どうやったら応援できるだろうかという、その一点だけなんですよ。あり方として。

けれど、学校教育が悪いのか、世間の風潮が悪いのかわからないですが、経営者っていうのは金儲けしてる悪人であるみたいな、経営者に対する尊敬の念がなさすぎる。
誰のおかげで君たちは生活しているのかと、怒りたくなります。
経営者が努力しなければ世の中は発展しないにも拘わらず、経営者に対する尊敬や、お役立ちをしようという人が少なすぎると私は思います。
大学でこれを教えてるんですけどね。
経営者はこれだけ大変なんだっていう話をしたら、みんなシュンとなってしまって、サラリーマンもみんながシュンとなるんです。
そんな大変な経営者にはなりたくないっていう人が出てくる。
経営者どころか、管理職にすらなりたくないっていう風潮だから、それでは経済発展するはずがないですよねっていう話ですよね。
でも、なりたい人も増えていると思うし、自分の能力を発揮したい人たちはたくさんいる。
子育てはみんなで社会でやらなきゃみたいな話と同じで、経営者は社会のみんなで支えなきゃ、という話なんですよ。

大野

馬場さんはさすがに良い事をおっしゃいますね!

馬場

私が大学で教えてるのはそういう事ですよ。
私は、大学で「社長業を教えてます」とはっきり言ってるのだけど、じゃあその社長業って何ですか?と言ったら経営の全てですよと。
社長って何をする仕事ですかって言ったら、全てを一人で決断してやっていく仕事ですよって。
一人でできない事を従業員の人たちに手伝ってもらってやってるのだから、「従業員が私の知らないとこでなんかしでかしました」とかいうのはもう社長失格も甚だしいっていう話をしてるわけですよ。

そういう全てを引き受けてる人を応援しないでどうするのだと。
その練習が多分このメンターです。
メンターとは、こういう役割だと私は思うんですよ。
そして、私は実際そのお手伝いをしてきたので、今こんな風に偉そうに「経営者は大変なんだぞ」という話ができるようになったわけですよ。

大野

今後のMIT-VFJという組織は、どんな方向性が望まれると思いますか?
また、今、何が欠落しているでしょうか。

馬場

組織運営については、いろいろと中でやるべき事だと思うので、ここでは言いませんが。
冒頭でお話ししましたが、今たくさんのプログラムが出てきている中で、自分たちはどうポジショニングするのかということや、その価値をどう伝えるのか。
当NPOのスポンサーの皆さんからの評価は非常に高いんだけれども、なぜ貴重なのかということについて、我々はまだ世間に伝えきれてないだろうなと思います。

これは永遠のテーマだと思うのですが、時代ごとに流行りもいろいろあって、今はHow toがとにかく持てはやされるし、若い人はそういうものがないと逆に不安だったりする。
そうではない、それぞれの経営者としての成長を手助けするみたいな活動の価値というものをわかってる人たちを、もっと集める。
私は他の団体でもいろいろと教育活動をやっていますが、気付いてる人がまず集まるということが大事です。
多くの人を説得するのは難しいですが、そういうベンチャーを支援することに意義を見出せる人たちにリーチして集まってもらえば、まずは充分なんだろうと思うんです。
そのための発信など、もうちょっと磨かなきゃいけないんだろうなあと思います。

大野

本当に広報が大事ですね。

馬場

自分たちがやってる事を世間に理解してもらう努力をしなければいけないのは、ベンチャー企業家と同じなんです。
それに対して、皆さんコミットや協力が必要なのかなという感じですかね。

大野

今まで一番達成感があったのはどんなエピソードですか?

馬場

達成感はなかなかないけど…直接自分が関わった人たち、応募者である人たちが、今、花開きつつあるのは、やって良かったなと思います。
それぞれの人たちの成功、何らかのいろいろな形での成功を見るのは楽しいし、嬉しいですね。

辛いのはいくら関わっても売上が伸びていかないようなケースで、ずっと苦労している社長さんを見てるのはきついですよ。
奇策はないから。
そこは自分の力不足を感じます。

大野

「売り上げ上がらないから辞めてしまえ」って言ったりするのも、メンターの仕事でしょうか。

馬場

もちろん、最悪の場合、それを回避すべきであって…っていうところはあるから。
ビジネスが上手くいけば嬉しいし、そうでないと嬉しくないっていう…要は伴走者である以上、それが起こるってことじゃないかな。
でもそれはお互いベストを尽くした結果だから。
良い事もあれば悪い事もありますしね。
長年やっていると、人生そんなもんじゃないのか…みたいなことになるんですよね。
だからこそ簡単じゃないっていうことを知るのが大事なんじゃないのかな。
諦めずにやっていたおかげでそのうち何とかなった人たちもいるし、上手くいかなかった人たちもいるっていうことで。

大野

ピボットするにしても諦めないでやるっていうのが大事ですよね、当たり前の事だけど。

馬場

私もメンターを始めた頃は、ベンチャーなんて2〜3年でピッて上がるんだろうというぐらいの感覚でいたけれども、そんなベンチャーなかなかないですし、できるもんじゃないっていう事も知りながらやってきました。
だけど「10年やって資金調達に成功しました」などという話を聞けるわけです。

大野

さきほど話が出たノボットの小林さんは、とても印象深くって。
成功する前に、すでに自分が失敗した100の事、やらなきゃいけない100の事を全てクリアしてきたっておっしゃった時には、すごいなと思いましたね。

馬場

特殊な人、特殊な部類に入ると思うけど、数年でバイアウトしちゃう人もいましたよね。
なかなか多くはそう、簡単にはいかないし。

大野

馬場さんは今まで活動を20年間続けてきたわけですけど、これからはこうしていきたいというのがあれば、教えてください。

馬場

メンターもちょっと高齢化してきている中で、次の世代に参画してもらって、その人たちが思う存分活動できるようなものにしていけたら良いですよね。
自分たちが関わった時のアバウトさからすると、「みんな、今、考え過ぎじゃないの?」というような感じもするので。
もうちょっと緩やかに人が入ってきてもいいんじゃないのかと思います。

大野

分母を増やすのは大切です。
そのためには広報。
なるべく、知ってもらう。
そしてアバウトでも、とにかくやってみようよという気持ちが大事かなと思います。
管理する側は大変ですけどね。

馬場

MIT-VFJは老舗みたいなものなので、長年やっているとだんだん重たくなってきちゃって。
創業期のフットワークの軽さというものがなくなっていくのは組織として仕方ないところなのですが。
自分が最初やってた頃のメタリングなんて、まあいい加減と言っちゃ悪いけど…大したことはやってなかったと思うけど、それでも役に立っていたと思いますし。
真摯に向き合うということだけが条件だと思うので、それができる人はみんな、参加資格があると思います。
経営者のサポートをしてみたいという気持ちだけがあれば。
それぞれ専門領域ぐらいは持ってる人だと思いますし。
専門領域を持つ以前に、自分がちゃんとしっかり立ってない人は論外ですが。
もっとたくさんの人が関わってくれたらベンチャー経営者の人たちも心強いだろうと思います。

馬場 研二(ばば・けんじ) 氏 プロフィール

日本MITベンチャーフォーラム(MIT-VFJ) 理事
サイバー大学IT総合学部 教授
日本ファミリービジネスアドバイザー協会 理事

1991年米国ボストン大学で経営学修士(MBA)取得。
地方銀行の外貨投資部門システム開発、外資系の人事コンサルタントを経て、2001年から、140年以上続くファミリー企業の本社経営企画部門に所属し、グループ経営戦略策定、新規事業推進、不振事業対策、人材開発等に15年間携わったのち、個人で経営コンサルティング会社を設立し、ベンチャー企業の経営顧問や老舗同族企業の監査役等を務めた。

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