INTERVIEW

2018年に台湾市場で上場
BPCC4 ファイナリスト
President, ICARES Medicus, Inc.
Dr. William Lee 氏

苦労してわかったのは、物事に対して楽観的に考えた方がいいってこと。
ダメだとすぐに悩んでしまう人が多いけれど、考えていても答えは出ない。
放っておいて一晩寝る!!

MIT-VFJは24年間にわたり、毎年継続的にメンタリングプログラムを実施しています。
同プログラムでは、 MIT-VFJ登録メンターが徹底したメンタリング・アバイスを行い、事業計画の見直しやブラッシュアップを行います。

今月は、コンテスト形式で2001〜2020年に開催していたBPCC第4回ファイナリストで、最優秀賞を獲得されたDr. William Lee(当時eMembrane, Inc. )にお話を伺います。
同氏は現在ICARES Medicus, Inc.の代表をつとめていらっしゃいます。

ビジネスプランコンテストBPCC第4回への応募

大野

ビジネスプランコンテストBPCC第4回に応募されましたが、そのきっかけは?

Lee

その年のゴールデンウィークに私は日本に来ていて、食事会で塚越雅信(つかごし・まさのぶ)さんとたまたまお会いしました。
塚越さんはインクタンク・ジャパン株式会社の代表取締役で、ボストンで立ち上げたカール・ルピングさんのインクタンクで一緒に仕事をされていました。
カール・ルピングさんの紹介で、塚越さんが東京にいるから食事でもしようという話になって、塚越さんがMIT-VFJでビジネスプランコンテストをやってるから参加してみませんかとおっしゃいました。
塚越さんの一言で参加したんです。

大野

そうでしたか、カール・ルピングさん。
とても懐かしいお名前です。
塚越さんはMIT-VFJ以外でもメンタリングでご協力いただき、お付き合いがあります。

Lee

当時は何も全くわからなくて、塚越さんに、とりあえずサマリーだけを出してくださいって言われて。

大野

そうでしたか。
当時のメンターはどなたでしたか?

Lee

工藤さんと永田さんです。

大野

すごく厳しかったでしょう?

Lee

はい、いちばん厳しかったのはやっぱり工藤さんでしたよ。
さんざん、叩かれて(笑)

大野

工藤さんは大企業を運営する立場にあったので、小さいところにはもう本当に厳しくて「こんなんじゃ駄目!!」って。
よくみんなが泣いていた感じ(笑)

Lee

はい、そうです(笑)
あの年は海外からの参加が2社あって、うちはその1つで、ほとんど直接は会っていないんです。
あの頃は、Zoomはまだなくて、Skypeでしたね。

大野

Skype!そういえばそんな時代でした。
メンタリングを受ける前と受けた後で、どんな変化がありましたか?

Lee

やっぱりビジネスモデルを考え直そうとさんざん言われて、事業をいろいろな展開ができるように書き直しをさせられたんですよね。

大野

応募された時のeMembrane, Inc. はどんな会社か、簡単にご紹介いただけますか。

Lee

元々、僕が大学の時からずっとやっていた技術で、それを実用化するために会社を作りました。
基本的には、高分子材料やプラスチックの表面を表面処理して、機能化させることです。
例えば、ろ過膜は、小さい分子と大きい分子を分けるものなんですが、ターゲットの分子を捕まえる機能がないんですね
その表面を処理すると、ターゲットの分子を捕まえることができるんです。
当時作ったのはタンパク製剤の分離精製で、製薬プロセスに応用できるような分離精製技術の研究開発をして実用化しようとしていました。

大野

ビジネスモデルがまだ確立されていなかったわけですね。

Lee

そうですね。
技術者の考えたビジネスモデルにはあれこれ穴があって。
技術者って、やっぱり自分のことしか考えてないじゃないですか(笑)

大野

はい(笑)

Lee

応用とか、市場規模とか、どうやって売っていくかというのは全然わからないから、それで工藤さんと永田さんにいろいろ教えてもらってビジネスプランを書き変えました。

BPCCのメンタリングがもたらした変化とは

大野

最終発表会で最優秀賞を取られたのは、ビジネスモデルの変化があってこそだと思うのですが、どんな変化があったのでしょう?

Lee

市場規模とかマーケットシェアとかを、どうやって取っていくかという部分での考え方が変わったということがいちばんだと思います。
技術者出身なので、博士号とか持ってると、自分が世界で一番だと思ってるじゃないですか、この技術に関して。
もっと悪く言えば、良い技術があれば、誰かがドアを叩いてくれるっていうような…お客さまが自動的にやって来るように考えてしまいがちです。
でもそれは全くの間違いです。
いくら技術が良くても、自分が売りに行かなければ何にもならない。
やっぱり考え方を逆にしなきゃいけないんですね。
今みんなが直面している問題をどうやって解決していくかがいちばん大事であって、自分の技術がいいからこれも応用できるあれも応用できるっていうのは、結局何も応用できないっていうことになるんで(笑)

大野

ビジネスモデルを変更して、いざ最終発表会に臨まれたわけですけれど、その時はどんな気分でした?自信ありました?

Lee

当時はあまり自信はなかったですね。
他のファイナリストがみんな良い技術を持っているので、どうかなぁと思ってずっと悩んでいましたよ、最後の最後まで。

大野

BPCC第4回は、合宿はどこでやりましたっけ?

Lee

僕は合宿には行っていませんでした。
当時一緒にやっていた桝田さんという女性が代わりに合宿に参加してくれました。
あれは確か熱海の方だったように思います。

大野

第4回なら山梨ですね。

Lee

はい。
そう、なんかピンク電話1台しかないところ。
Skypeやろうと思っていたんですが、桝田さんが「すみません、ピンク電話1台しかないですよ。インターネットもない」って(笑)

大野

隔世の感がありますね(笑)

Lee

桝田さんと工藤さんと永田さんがいろいろやって、それをまとめて、合宿の後に私に伝えてきて、そこでビジネスプランのブラッシュアップをやる。
その後で何回かSkypeでメンタリングを行いました。

eMembraneからICARESへ

大野

それで最優秀賞を取られたわけですから、たいしたものです。
その時はeMembraneでしたが、現在はICARESに移行されました。
技術や経営の面で、eMembraneで培ったものが、ICARESで生かされていますか?どんな部分で?

Lee

今はほとんど眼科で白内障の治療に関わる仕事をやっているんですが、元々eMembraneの時は機能化した濾過膜とかをやっていました。
2000年に会社を作ってからずっと苦しかったんですよね、2006年ぐらいまでは。
スタートアップはみんなそうだと思うけど、やっぱり大手と戦うのは結構苦しい。

ボストンにあるAST Productsという会社があって、同じ表面処理の技術を持っていました。
ちょっと違うやり方なんですが。
白内障治療のときに眼内レンズを注射器で目に入れるのですが、その注射器はプラスチック製で、レンズもプラスチック製で、それを折り畳んで押し出すんです。
その時の摩擦力がすごく大きいんです。
切開口が大体2.2ミリぐらいなんですよ。
眼内レンズの直径は6ミリなんです。
その摩擦力を軽減するために、コーティングとか表面処理が必要で、たまたまASTプロダクツの研究開発部長が辞めた時に、僕はその社長と知り合って、手伝ってほしいという話になって。
条件としては、AST Productsを手伝いながら、eMembraneも続けることができるようにしました。

2006年にAST Productsの手伝いを始めて一番目の課題としては、AST Productsの既存特許をまず破れなきゃいけないこと。
次世代の表面処理の製品を作らなくてはいけない。
eMembraneでやっていた、あるいは僕が東大でやっていた技術がそれに応用できたんです。
当時はみんなが反対というか、あんまり信じてくれなくて、そのような技術だとコストが高くなるんじゃないかという話があってですね。
結局3年間ずっとコストダウンを頑張ってやって、やっとお客さまに提供できるような価格にできました。
そしてたまたまイギリスの眼内レンズ会社のニーズに対して、こちらの技術が提供できる形になりました。
これは医療機器なので許認可が必要で、2011年に許認可を取り、世の中に製品として出せることになったんです。
この技術は元々eMembraneのものなので、eMembraneとAST Productsを合併させました。
ろ過膜の方はもう難しいので、たまたまこういうニッチな分野で応用できたので、そこに特化して、もっと進めようという話になり、未だにやってます。
eMembraneの技術を使って表面処理された注射器は、現在、年間600万本以上になっています。

大野

ICARESは、眼内レンズ及びその注射器の研究開発、販売を事業とする会社ですよね?

Lee

はい。
ICARESができたのは2011年です。
ただ僕は2006年にAST Productsに参画して、ずっと注射器の表面処理しかやってなかったんですね。
レンズは全く作っていませんでした。
たまたま2010年の暮れに、台湾政府の経済省の人が事業を誘致するためにボストンに来ていて、AST Productsの社長が台湾出身だから、その集まりに出たんです。
翌日僕のオフィスに来てくださって。
台湾経済省の誘致があるから何かやることないかという話になり、僕は軽く眼内レンズででも作ろうかと話しました。
2011年の初めに僕がビジネスプラン作りを台湾の経済省に出して採用され、2011年の7月にICARESを台湾で設立しました。

大野

なるほど。
だから台湾市場に上場されたわけですね。

Lee

ICARESは、僕を含めて3人のパートナーがいるのですが、あとの2人は台湾人なんです。
登記はシンガポールにするか台湾にするかということになりました。
レンズなので光学に関係するエンジニアが必要です。
TSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー)のような会社は台湾にはいっぱいあるじゃないですか。
そのため光学のエンジニアを雇いやすいので、一つの条件としては台湾がいいじゃないかとなり、台湾で会社を作ったんです。

大野

なるほど。
Leeさんご自身はマレーシアのご出身ですが、今はアメリカ人ですね。

Lee

そうです、マレーシア出身で高校終わってから日本に留学して東大で三つの学位を取って。
ハーバードメディカルスクールとか、病院を2年間やって、その後1年間ジャフコ、日本のベンチャーキャピタルに。
そしてボストンに戻って2000年にeMembraneを作り、2006年にAST Products、2011年に台湾のICARESを作って2018年が正式な上場です。

患者さんの感動する瞬間、それが我々としての価値

大野

BPCC18の最終審査発表会で基調講演くださったことがありましたね。
拝聴するのを楽しみにしていたのですが、運営側でお話を伺うことができず、今でも残念に思っています。
あの時のお話の骨子を簡単にご紹介いただけたら幸いです。
既にICARES で上場されていたのでしたっけ?

Lee

eMembraneの技術の変化・進展を、いかに最終的に眼内レンズの注射器に応用できたのかという話でした。

大野

最後に起業家に向けた大事なことお話しくださった気がしますが、内容をお聴きできなくて。

Lee

結局会社をやっていて何がいちばん大事か、儲けはもちろんだけども、その会社自身のミッションを作らなきゃいけないんですね。
何が会社の価値かっていうことであって、ずっと悩んでて、結局今もずっと言ってるんだけども。
白内障の治療をやっていて、患者さんが手術の翌日に目を開けた時に、今まで見えなかったものが全部見える、その感動する瞬間、それが我々としての価値なんですね。
僕も会社の人に言ってるんですが、患者さんが感動する時が、我々の価値。
その価値を創造するために、組織のピラミッドの底にいる技術者であっても、みんな役割分担があって、みんな平等で、自分の役割を果たさなきゃいけない。
上下関係じゃなくて、レンズを作ってるテクニシャンも、それを洗っている人もみんな大事だし。
だから今それを会社の文化として、ずっと育てていこうとしています。
我々も眼科に特化しようとしているので、少なくとも100年の歴史のある会社になるまで頑張ろう、そんなつもりで、みんなでずっとやっていこうと話しています。

大野

ありがとうございます、素晴らしいですね。
感動させるっていうのは。

Lee

そうです。
結局それが価値じゃないですか。
医療関係ってことは、福祉なんですよ。

大野

なるほど

Lee

ただ、悩んでることもあって。
今までベンチャーでやってきたじゃないですか、20人か30人の規模でね。
しかし、現在は、会社全体では200人ぐらいになったんです。
そうすると経営の仕方も変えなきゃいけない。
今までは自分の役割を、自分1人でいろいろやっていたことも、ここまで大きくなるとできなくなるんですね。
誰か信頼して任せなきゃいけないから、そうじゃないと36時間あっても足りないということになるので。

大野

組織強化が必要ですね。

Leeさんに影響を与えた人物とは

大野

ところで、Leeさんに影響を与えた人物は?どんな部分で影響を受けたとお考えでしょうか?

Lee

うちの父親がその1人です。
もう亡くなりましたが、オープンマインドで、カトリックで、自分の子どもに対しては好きにしろっていう人。
自分が好きな宗教を選べばいい、自分の将来に何をやってもいい。
でも人には害を与えないようにすれば、それでいい。
それを守ってくれれば好き勝手にやって、自分で決めてやりなさいと。
僕と妹2人が、かなり自由度の高い環境で育てられて、試行錯誤っていうか、ずっと自分の道を選んでいくという考え方に大きく影響されました。

大野

Leeさんのグローバルな視野、考え方は父上の影響だったんでしょうか。

Lee

そうですね。
人間は、どんな人種だって皆同じじゃないですか。
目が2つ、鼻の穴が2つ、口が1つというのは同じで、ただ皮膚の色が違うだけで、なんで差別しなきゃいけないのかなって。
もちろん心の中にどこかでそういう差別するところが発生するんだけれど、でも結局肌の色の違いだけで、あの人が下等人間とかあの人が上等人間ってことなどありませんからね。

大野

影響を与えた2人目は?

Lee

2人目は高校で地理を教えてくれた先生です。
すごく厳しくて、すぐ怒るから、みんな怯えていました。
先生はダイビングが大好きで、結構がっしりした身体でした。
僕が日本に留学し、3、4年後に国へ戻った時、どこかのレストランで同窓会があって先生に再会したんです。
そしたら先生はがんに罹り、髪の毛が全部なくなっていました。
食事しながらも様子を見てみんなびっくりでした。
でも先生は別にどうってことなくて、がんだからといって悩むことはない、それが運命だったらそれでいい。
君たちは世界を背負っていると思っているかもしれないが、世界が君たちを背負っていると考えた方がいいよと言ってくれました。
つまり、いろいろな人が、いろいろ社会に出て、いろいろな責任があるから、みんな責任重大でプレッシャーを感じてしまうけれど、責任重大だからってマイナスに考えちゃダメで、
全て自分が責任を取るということではなくて、自分が世界に何を与えて何をやるべきかって考えればいいんですとおっしゃってました。
でも、当時は先生が何を言っているのか、よくわかりませんでした。
僕はまだ大学1年生で、先生は何を言っているんだろうと思っていました。

大野

先生はマレーシアの方なんですね。

Lee

そうです。
自分でいろいろ経験して、会社を作って、いろいろな苦労をしてみてわかったのは、物事に対して楽観的に考えた方がいいっていうことなんです。
駄目だとすぐに悩んでしまう人が多いのですが、僕としては、問題に直面した時にひどく悩んでしまうってことが、基本、あまりないんです。
今日は、考えていても答えは出ないから、放っておいて一晩寝る。
朝の6時に考え直せればいいんで、そういうパターンでやっていると、けっこう問題は解決できる。
焦っても多分答えは出てこない。
マイナスのエネルギーを周りに与えちゃうと、さらに悪循環で、みんなマイナスの環境に落ちていくしかないから。
その日ダメでも翌日考えればいいんです。
怒ってもしょうがないし。

大野

その先生が、楽天的でポジティブシンキングであることを教えてくださったのですね。
起業家はそれがないとやっていけませんもんね。

大きな災難を運命として受けとめる

大野

Leeさんは、いろいろ大きな問題を抱えても、ポジティブシンキングで乗り越えていらっしゃったってわけですね。
今まででいちばん落ち込んだというか、大変だったことは何ですか。

Lee

いちばん大変だったのは2004年のBPCCに参加した時、最終発表会が10月の後半でした。
あの年のクリスマスに、インドネシアに大きな津波がありました。
そこで僕のいちばん下の妹を亡くしたんです。
マレーシア全体ではそれほどの死者は出なかったんですが、ペナン島のあたりで60人ほどの死者が出ました。
ちょうどあの日はクリスマス翌日の日曜で、うちの妹は家族でピクニック行こうという話になったんです。
最初はペナン島の真ん中にある植物園へピクニックに行こうと話していたようですが、翌日になって妹の夫が、新しいビーチができたけどまだ観光客もあまり行っていないから、そこへ行こうという話になって、急遽予定を変更したそうなんです。
確かに綺麗なビーチで、まだあまり開発されていないところなんです。
当時はたぶん、東南アジアの人たちは誰も津波なんか見たことがなかったんです。
家族10人で行って、帰ってきたのは4人だけでした。
母親や、義理のお兄さんの子ども3人も亡くしたし、僕の妹と、妹のいちばん下の男の子も。
妹は幸い遺体が見つかりましたが、小さな子どもは軽いから流されて帰ってこなかったんです。
あれがいちばん辛い経験でした。

大野

当時その話を伺いまして、本当に何と言葉をおかけしていいかわかりませんでした。

Lee

僕がいちばん心配したのはやっぱり僕の父親と母親です。
その時、僕はボストンにいたんですが、どうにか葬式に間に合わせました。
うちの父親もその2年も亡くなったんですよ。
亡くなったいちばん下の妹は、父親がいちばんかわいがっていたから。
運命として受けとめるしかないんですけどね。

大野

人間の運不運っていうのは本当に神のみぞ知る…(合掌)

Lee

そうです。
人間はこの世界の中でいかに脆いっていうか。

大野

でもそれを乗り越えて、今は台湾で上場されて頑張ってらっしゃるのは、先生がおっしゃったそのポジティブシンキングのお陰でしょうか。

新たに取り組んでいることは、
ワンステージ上の眼内レンズ

大野

今、ICARESでも何か新たに取り組んでらっしゃる、あるいはLeeさんご自身が取り組んでらっしゃることはありますか?

Lee

もちろん次々に製品を出さなきゃいけないのですが、我々人間の目の、元々のレンズに近い機能をレンズに持たせられないかを考えています。
我々のレンズってオートフォーカスできるじゃないですか。
でも人工のレンズになると、なかなか難しいんですよ。
今は、ある程度、遠距離、中距離、近距離まで見えるレンズも出てきているんですが、やっぱりもっと自由にオートフォーカスできるような、そういうレンズを作ってみたいです。
また、人工レンズだとまだ体積的に大きいので、もっと小さくできないかという話があって、まずは挑戦してみようと考えています。
もう一つワンステージ上へ行くと、レンズを一度目の中に埋め込めば24時間目の中にあるわけだから、そこに予防治療というか、そういう機能を持たせることができれば、更にいいんじゃないかと思っています。
例えば目の中に涙があり、涙の中にはいろいろな成分があるから、がんの検査・検知とかもできるし、それができたら、次は治療ができるかもしれない。
その辺をやっていきたいなと思っています。

大野

なるほど。
それはいつ頃できそうですか?

Lee

遠、中、近距離が連続的に見れる眼内レンズは実は既にあるんです。
でも、そういうレンズを勧めるか勧めないかは、お医者さんの考え方次第ってところがありまして。

大野

なるほど、考えなきゃならないことがいっぱいありますね、hmm

VMP24の応募を考えている方へ
「挑戦しないことがいちばん大きな失敗」

大野

ボランティアをベースとした我々の活動に対し、期待やご要望などあれば教えてください。

Lee

日本にも多くのビジネスプランコンテストがありますが、MIT-VFJがいいのはやはりメンタリングで、いちばんみんなにとってためになる。
メンタリングを受けていたときは厳しくて泣きそうでしたが、愛のムチということで(笑)
他のビジネスプランコンテストは、あまりそういうことはやらないじゃないですか。
ピッチとかあちこちでやっているんだけど、蓋を開けてみたら結局何もないっていうところがいっぱいありますよね。
こういうMIT-VFJのメンタリングが素晴らしいということを、もうひと押し、もっと宣伝した方がいいんじゃないかと思います。

大野

今年もVMPがスタートしました。
できるだけ多くの方にご応募いただきたいと、7月31日の締切に向けて応募者発掘のプロモーションを展開しています。
皆さんにご紹介いただくとともに、この場で応援メッセージをいただけたら幸いです。

Lee

あまり考えずに応募してくださいと僕は言いたいですね。
挑戦してください。
挑戦しなければ何も始まらないし、挑戦して失敗したらそれでもいいし、その失敗からいろいろな勉強ができる。
挑戦しないことがいちばん大きな失敗ですよ。

結局どう変わるかわかりません。
僕がeMembraneを作った時の事業内容は、今は全く違う方向に行っています。
自分が進めていく時に、いろいろな人と出会うから、チャンスもたくさん出てくる。
チャンスは平等に周りに現れてくるんです。
そのチャンスに出会ったときに自分が捕まえられるか捕まえられないか、それが変わる。

書道家でもあるLeeさんの人生を体現する書

大野

ありがとうございます。
最後に、Leeさんは書道家でもいらっしゃって、いつも素晴らしい書を発表されています。
東京都の美術館で展示会がありますが、毎年出展されていましたよね。

Lee

今まで10年間連続で出展しています。
いわゆる日本の4大書道展というのがありまして、読売書法展、毎日書道展、産経国際書展、東京書作展です。
私が参加しているのは、東京書作展で、毎回入選していて、今年も出すつもりです。

大野

素晴らし! 今年のテーマはもう決まったんですか。

Lee

いやまだこれから。
どうしようかなと思って。
2文字書くということで、サイズも決まっていて、60センチ×180センチという横長の紙に書きます。
今年何を書こうかは、これから考えます。

大野

毎年とても楽しみにしています。
Leeさんの人生を体現する2文字なんでしょうね。

Lee

そうです(笑)

大野

楽しみにしております!

William Lee (うぃりあむ・りー) 氏 プロフィール

ICARES Medicus, Inc.(台湾新竹)社長
AST Products, Inc.(米国ボストン)副社長

エンジニア、起業家、経営者として、表面処理技術や製品設計・開発に30年以上の経験を持つ。日本原子力研究所、Harvard Medical School/Massachusetts General Hospital、JAFCOおよび自身が設立したeMembrane, Inc.を経験。

大学の時から関わっている技術を実用化して、LubriMATRIX™表面処理技術を開発。
現在、この技術は年間600万個以上の眼内レンズ(IOL)注射器に応用され、白内障患者の眼にIOLを安全かつ正確に挿入することを可能にした。
それによって、世界中の人々の生活を改善する社会貢献として称えられ、米国Surfaces in Biomaterials Foundationから2021 Excellence in Biomaterials Science Award 及び米国American Chemical Society(ACS)から2020 Heroes of Chemistry Awardを受賞。他にThe Chicago Athenaeum Museum of Architecture and Designから2018年のGOOD DESIGN®賞、Frost & Sullivanから2008年のNorth America Technology Innovation of the Year Awardを受賞。

東京大学にて、学士、修士、博士を取得。英語、日本語、中国語を含む7つの言語を操る。
2014年から東京書作展を10回連続入選。

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